私が傘を嫌いな理由と雨を好きになる方法。

こんにちは!Shellyです。

私は、傘を持ち歩きません。傘が嫌いです。

かなりの雨の日でも、傘を持って出かけません。土砂降りでどうにもならない時は、不要不急でない限り、家から出ません。

こんなに便利な世の中なのに、傘だけは「便利~」と思った事は人生で一度もありません。

ただ、正確に言うと「傘そのものの存在」が嫌いなのではなく「道具としての傘」が嫌いなので、例えば、職人さんが心を込めて手作りした傘そのものは、道具ではなく一つの作品だと思っているので、傘の造形美は何となく感じますし、傘を差している人の写真や絵なんかも好きです。

今回は、なぜここまで道具としての傘が嫌いなのか、そしてほとんど全くと言っていいほど、道具として長年アップデートなされない傘について考察していきます。

傘はとにかく邪魔

人間の手は最大でも2本なのに、傘を差すとまるまる1本の手が埋まってしまいます。

荷物を持ったり、作業をしたりするのに、非常に効率が悪くなるうえに、閉じても持ち歩かなければならないので、基本ずっと手に持っておかなければならず、傘を持って出かけようものなら、一日中、傘に縛られてしまう気分になり、非常に不愉快です。

傘立てのないお店や施設に入り、何かをしようとする際に、いちいち傘を立て掛けたりする場所を探さなければならず、ちょっとした事ですぐに倒れるので、神経に障ります。

旅行先で雨が降って自分が傘を使う場面を頭の中で想像するだけでも、イライラ…。

出かけ先で、常に自分の視界と意識のほんの一部に傘の存在があること自体が「邪魔だ」と思ってしまいます。

通りで他人の傘とぶつかる

日本語に「傘かしげ」という言葉があります。

傘を差して通りで人とすれ違う時、相手に傘がぶつかったり、雨の雫が相手にかかったりしないよう、傘を相手とは逆の方に傾ける様子のことです。

相手に対する気遣いだったり、ほんのちょっとした思いやりを、さり気ない日常で行う所作の隠喩で使われるのを耳にする人も多いのでは。

想像したら綺麗な場面ですが、こんなものは渋谷のスクランブル交差点なんかでは一切通用しないもの。

四方八方から傘がぶつかり合い、雫が飛んではねて顔、肩、背中まで「冷たっ!」となってしまう状況は誰しも経験あるはずです。

相手が悪いと、睨まれたり舌打ちされたりして、最悪です。

下半身が濡れ、風が吹くと全く意味がない

雨の降り具合にもよりますが、傘を差していても100メートルも歩くと、風が吹いていなくてもそこそこ下半身が濡れます。

普通に歩いていれば、傘の布やビニールの部分の縁から地面に対する延長線よりも足が少し外側に出てしまうことは免れません。

さらに、これで風なんかが少しでも吹いていれば、もう上半身から濡れてしまうことも。

傘の直径が150cmもないと、雨から全身を守ることはほぼ不可能でしょう。

差したり閉じたりが面倒くさい

地下鉄や建物などに入る時と出る時、いちいち傘を差したり閉じたりするのが面倒!と思ったことはありませんか。

開く時には急に開くと危ないので周りに人がいないか確認するために一度立ち止まりますし、閉じる時も、雫を外で振り落とすために敷地の前で立ち止まりますし、手も濡れますし、もうとにかくイチイチこういうのが面倒くさくてしようがない!

しかも、開いたり閉じたりは両手を使うので、片手に荷物があると、小さな「イラっ」が一日のうちに何回あることでしょう…。

車に乗る時に一瞬困る

車に乗る人は分かると思いますが、結構な雨の時に車に駆け込むと、一瞬、傘の置き場所に迷うことはありませんか?

車内を雨でびしょびしょになった傘で濡らしたくない…。

うまく立て掛けたつもりでも、運転していると倒れて、床に落ちている砂ホコリが濡れた傘にくっついて、「あ~あ…」。

そして何より、狭い車内では割と長い傘って邪魔になります。

傘をどこかに置き忘れて「あっ!」と思う瞬間が嫌

建物から出た時に雨があがっていると、傘をそこに置き忘れることは誰しも経験があるはず。

すぐに思い出して取りに戻る気力があればよいですが、気が付くのが遅かった場合、一瞬「あッ!傘忘れた!」と気付いたあの時の、一瞬の残念感が、「私、バカ~」という気にさせて、自分の中でちょっとした敗北感を味わされます。

それがましてや人に貸してもらった傘だったりすると、なおの事嫌になってしまいますよね。

逆に、雨から晴れになった時にも、晴れなのにずっと傘を持ち歩かなければならないというのも、それはそれで邪魔ですし、損をした気分になります。

折りたたみ傘はもっと嫌

折りたたみ傘は、傘の歴史上、一番最近の大きなアップデートではないかと思っていますが、あれこそ私は嫌いです。

まず、一度目を使うと、二度と袋には綺麗に収まることはありません。幼児用の水筒くらいしか入らなさそうな、あの小さな専用の袋に綺麗に収められたことはかつて一度たりともありません。

丁寧に折りたたんで、ちゃんと閉じれば入るのでしょうが、一日に何度も閉じたり開けたりをするものなのですから、イチイチそんな面倒なことはしていられません。

袋に入れずにそのまま手に持って歩くのも、足元でシャカシャカひらひらして、水滴は飛び散りますし、とにかく不愉快です。

さらに、バッグに入れておこうにも、傘を専用の袋に入れる過程で袋にもかなりの水がつきますし、もっと酷いものは中から水が染み出すものまであります。そんな状態でバッグに入れようものなら、バッグの中身まで濡れてしまいます。

私達は雨に触れるのを嫌がり過ぎている?

冒頭にも言いましたが、私は少々の雨、いえ、結構な雨でも、傘は差しません。大雨だったり、台風の時にはもう一歩も外に出ません。

傘を差すのは、どうしても用事があって、流石にこの雨の量は…という時。化粧も落ちますし、髪もずぶ濡れになってしまうので、肩から上だけでも濡れないように傘を差します。

これだけ便利な世の中になっているのにも関わらず、もう数百年、もっと言うと人類史上、傘だけは「目からウロコ」レベルの改善が全くなされていません。

という事はおそらく、今ある傘の形状が、人類が開発可能な傘の最終形態の限界点なのではないでしょうか。

傘に限らず、人間の技術の限界が見えた時、または技術の発展が行き過ぎて不自然さや違和感が勝った瞬間、それ以上は自然に抗うことは出来ない、と考えるのはどうでしょうか。

現代人は、雨に濡れることを必要以上に嫌がりすぎていると感じます。

酸性雨や汚染物質の問題もありますが、そもそも人間が自然環境に負荷をかけた結果、そのような性質の雨になってしまったのです。

大昔の人は雨水で身体を洗い、喉の乾きを潤し、農作物を育て、自然の恵みとして感謝し、さらに雨の日には詩を詠んで、雨をイメージした作曲をして、絵を描いて楽しんでいましたが、現代の人は雨というと「うっとうしい」「陰鬱な気分になる」といったネガティブなイメージが先行する人も多いことと思います。

風邪を引くほどびしょ濡れになる事は本末転倒ですが、雨の匂い、音、感触、冷たさ、味、五感を意識して少しだけ雨と一緒に時間を過ごしてみると、少し大昔の人の気持ちが分かるかもしれません

なんだか少し説教っぽくなってしまいましたが、エラそうに言う私も、雨に濡れるのが大好きだというわけではありません。嫌いな傘を持つくらいなら雨に濡れたほうがいいなと思う程度です。

ただ、雨は生きていれば絶対に避けられない自然現象なので、鬱陶しく思うより、少しでも好きになるように考え方を工夫したいとは常に意識しています。


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